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ただ、アタシたちは、そんな魔女会議で「私たちは、ほかの人たちよりも幸福だよね」ということを確認できる、などとは露ほども思っていないの。魔女会議で確認できるのは、せいぜい「嫌いな人の悪口を言うのは、楽しくて気持ちいい」という“快楽”だけ。それは確かに、ほんの少しだけ“幸福”に似てはいるけれど、まったくの別物なのよね。アタシ、“幸福”には、充実感とか充足感とか、なんにせよ「満たされる」というニュアンスがあると思っているのだけれど、“快楽”にあるのは、高揚感とか刺激だけで、それだけでは、自分たちが抱えている“欠落”が埋まるわけはないのよね。
先ほどもお話ししたけれど、アタシのオンナ友達ひとりひとりも、さまざまなカテゴリーに属しているけれど、それぞれに違う幸福の形を持ち、違う悩みを抱えているわ。そして、みんな例外なく、惚れ惚れするするほど一生懸命よ。彼女たちのそんな姿を見ているから、アタシ、「どんなチョイスがいちばん幸せか」なんて答えは、とてもじゃないけど出せないの。
この一連のエッセイを書きながら、アタシは、「結婚する人たちに向けて、というリクエストはあったけれど、だからといって、結婚しないという選択をする(あるいは、せざるをえなかった)人たちを置き去りにしてしまうようなものは書きたくないわ。だって少なくとも、アタシの周りのオンナたちは、結婚していようがしていまいが、それぞれに懸命に生きているんだもの」という思いがずっとあったの。どんな人生を送ろうが、大切なのは、それぞれの幸福の形を認め合って、それぞれの悩みや苦しみの形に思いを馳せること。結婚する、しないに関わらず、その姿勢がなければ、いつまでたっても、人の足を引っ張って“幸福”を確認するか、あるいは他の人をうらやんで“不幸”を嘆く人生しか送れないと思うのよ。
最後の最後で自分の話をして恐縮だけど、アタシはゲイで、現時点の日本では結婚できない人間よ(するつもりもないんだけどね)。自分の本(『こんなオトコの子の~』)の中でも少し書いているけれど、自分がゲイであることを自覚した(せざるをえなくなった)のは小学生のときで、まあ、当時はそれを猛烈に呪ったりもしたのよ。壮絶なイジメの対象になるだろうと思ったから、カミングアウトはできなかったし、周りにゲイらしき友人もいない。「こんなふうに生まれついていなかったら、もっと穏やかに生きられたはずなのに。自分にウソをついたまま、気の遠くなるような残りの人生を送らずにすんだはずなのに」と、何度、“普通”に見えるクラスメイトたちをうらやんだか判らないわ。中学生の終わりころに「自殺はしない。できない。だったら、なんとか生き抜かなくちゃいけない」と思い定めてからは、それまでの反動もあったんでしょう、自分の生き方を肯定するために、周りの人たちの人生を否定したり鼻で笑ったり……。そうね、「攻撃的」と言うだけではすまないような刺々しい人格にもなったの。いま、「あのころの自分は“幸福”だったか」と問われれば、なんの躊躇もなく、アタシは「NO」と答えるわ。「あの時期は、確かにアタシが大人になるために必要不可欠なプロセスではあった。でも、あれが“幸福”の証明なんて、とんでもない。あれは、アタシの“欠落”の証明だった」と。
そんな時期をくぐり抜けたアタシだから(もちろん現在でも「すべてが満たされた」とは言いがたいけれど、だからこそ)、みなさんのそれぞれの幸福と、それぞれの悩みを等しく応援したいの。アナタとアタシは、まったく違う人生を歩んでいるけれど、それぞれの人生で、自分だけの「チョイス」と「チャレンジ」を繰り返していく。そして、その先に、自分だけの「ハピネス」があるんだと、アタシは信じているわ!
3ヶ月あまりの間、読んで下さって本当にありがとう。
Wish Your Happiness
Makoto Takayama
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